お気持ち表明。界隈の件。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。どうやら書くのは4か月ぶりとからしいです。しかも前回の内容がただの自分語り。今年はもう少し文章を生成したいと思っています。

新年のあいさつをしたところ申し訳ないですが、話は去年にさかのぼります。所詮は一昨日(この記事は2021年元日に作成しています。)に戻ります。

お気持ち表明をする前に軽めの経緯説明をします。この日には大学の同期の方々(全く交流のない人々ですが)が1回生をつなげる会と題してYouTube上でイベントを行っていたそうです。はっきり言って興味が微塵もなかったですがどうやら「○○界隈」という言葉が使われていたらしいです。そこでその視聴者の方でしょうか、参加者の方が「界隈」とくくられることに対して次のように感じていたそうです。

人が常に一定の界隈に居続けるわけではないということがありうるということは知っておいてほしい。その点で界隈という言葉がナンセンスである。

 という発言をしている方がいらしたのでこのツイートを見た私が次のようにツイートしました。(大半の方はみていないでしょう。鍵垢での話です。)

 界隈という言葉って周りからのレッテル貼りだからそれは周りにはこう見えてるものとしてある程度受け入れることが必要だと思うけど? 他者との関係性で自己がある程度規定されるのに他者の目線を取り入れようとすることを拒否するのはそれこそジレンマのあることなのでは?

あくまで相手に対する評価ではなくイメージの問題であってそのような人なのかなと思われてしまうのはある程度は仕方の無いことだと思うけど?そのレッテルを貼るための努力も個人にはある程度以上求められてると思いますが?自分を自分としてだけ見てほしいなんてわがまますぎる気がする

 といったところ議論が始まったわけですが詳しい中身については省略します。不毛なので。まあこのブログ自体が不毛だという話ではありますが。

今回は私のお気持ち表明をするだけにします。議論をしたい方がいらっしゃったらDMでもコメントでも対面でもLINEでも好きに吹っ掛けてきてください。

そもそも界隈という言葉は周りからのレッテル張りのための言葉だと思っています。別にそんな言葉を使わなくても「アーあのへんね」とか「例の人たち」とかという言葉でも十分同義だと思います。界隈という言葉が独り歩きしている気がするので。集団として見られてることは多くありますが、そこには「学部」「サークル」「n回生」などという固有のものもありますが、普段仲いい人たちなど特定の固有名詞またはそれに準ずるものだけではないはずです。それこそLINEで仲いい人たちだけのグループはその最たる例ではないでしょうか。自分が含まれるグルーピングを自分でするにはよくて他人にされるには気に入らないというのはただの小学生並みのわがままです。客観的に見えたらそのように見られているというだけです。

界隈とみなされる中にいるのは個々の人間たちです。私たちは個々の人間として中の人を見なければいけません。仮に特定の個人に対してどう思うか聞かれたときはその人単体でのどう思うかを私は言います。そこには所属団体とかは一切関係のないはずです。そこでの評価に団体を介在させるのはただの受け手側の怠慢だと思います。

で、界隈という言葉をどのように使っているかを考えると私個人としては「界隈」という言葉を使うときには一定の意図をもって使うことが多いです。先ほど述べた界隈の同義語は関係なく使うことも多いですが、界隈という言葉を使うときは周りの人に合わせて言う場合、これは周りに同調していることが多く、当事者の前では「いわゆる」ということばを前置きしています。

もう一つ使う場合は一定の意図をもってとある集団を叩く時です。別に界隈問う言葉を使う必要性はありません。この言葉を用いることによって思わぬ被弾を食らうことがあることは十分承知したうえで使っています。それでも敢えて使っているのはその内部の人を守るために使っています。別に内部の人のことを悪く思っているわけではないので(まあ中にはよく思っていない人がいることもありますがむしろ好意的に思っている人の方が多いです)個人として叩くことを回避するためです。もっとも叩かれる場で個人攻撃されたらたまったもんではないでしょう。そのような場合に「界隈」という言葉を用いるとオブラートに包まれるのではないでしょうか。そうすることによって個人を守っているという側面が大きいと個人的には考えています。

これが世に放たれての反応はわかりませんが。別に個人的には個人攻撃してもいいんですけどね。ちなみにこの内容の記事は猛烈に「とある界隈」を意識したうえで書いていますがその件についてはまた別の機会にでも。ちなみに例のイベントで出てきた界隈ではありませんが。

何気ない日常に”ちょっとしたスパイス”を加える

夏休みが始まってからしばらくたってもう夏も終わろうとしている八月は下旬。今日、少し出かけると夕焼けがきれいに映えてた。秋の色って何?と言われれば自分の中ではオレンジだから、秋が近づいていることを猛烈に感じさせる。紅葉したらこの辺はどうなるのかな、今年の夏は少し短かったな。とか思いながら。

と、突然柄でもない謎の文章を書き始めた。でもこれも夏の日常。何気ない景色。今日は突然日常について書きたくなったのはおとといの話。こんな出来事が起こった。

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コミュニケーション能力に重大な問題のある自分の話。

 タイトルから唐突な自分語り宣言である。まあいつも自分語りであるという自負はあるんだがあえてこんなタイトルを付けてみた。全く関係ない話ではあるんですけど個人的には先日から夏休みに入りました。コロナウイルス渦で迎えている夏休みなので想像していたよりはだいぶ違う夏になりそうですけど。というか夏休みというより秋休みですよね。八月より九月のほうが長いんですよ。これは秋休みに違いない。

という余談は別として今回から「話す」ということに関する内容で”やる気が出れば”三回くらい勝手に書いていこうと思います。気が向いたら読んでくれると多分喜ぶかなと思います。

そもそもコミュ障とはなんなのか

こういう話題の時によく取り上げられるコミュ障ってやつ。そいつが一体何者なのかよくわかってない人も多い気がするにので調べてみた。

コミュニティ障害は対人関係を必要とされる場面で、他人と十分なコミュニケーションをとることができなくなるという障害(Wikipediaより)

これがいわゆる医学的な面でのコミュ障の定義であろう。

また、一般的なコミュ障の定義はこちらの方が近いのではないだろうか。

「コミュ障」は対人関係において支障をきたすレベルでうまく関われない人。類語は「根暗」「陰キャ

しかし、ここで言いたいコミュ障はこういうことではない。

 まあ調べているとおそらく対人恐怖症のほうが近い気がするのだが正式なこととかわからないのでここでは「しゃべれるコミュ障」と呼ぶことにする。

定義を付けるとすれば「コミュニケーションをとることができるものの、その前提となる人に話しかけるや人を誘うという行為がほぼできない人」のことを指して使っている。

と、言うと大抵「そんなことないよ~」とか言われてしまったり「え、まじ?」といわれてしまったりする。多分人といるときの自分を客観的に見たらいかにも社交的な人に見えるからだろう。

といっても何のことやらわからないと思うので実際に生じた具体例の話をしてみる。

なんで「コミュ障」になってしまうのか

 コミュ障になる原因をさっさと突き止めてしまってそこを克服できればおそらく楽になるとは思うんです。なのでこの原因をある程度の時間をかけて考えてみた。

  1. 人に話しかけるのが怖い
  2. 相手に嫌われてたら申し訳ない
  3. (初見の人の場合)相手のことがわからなさ過ぎて怖い
  4. まず声のかけ方がわからない

といった4つが主な原因なのではないかと考えられたのです。

一つ目から、人に話しかけるのはまず勇気がいりますねえ。そんなものあいにく持ち合わせていないらしい。人に話しかける前におそらく考えてしまうんですよね。例えば知り合い見た時に話しかけて会話続かなかったらどうしよ~とか遊び誘っても何もできないの怖い~とか。なんていうのかこういうたぐいの考えが生まれてくるんですね。大抵何とかなるんですけどなぜか考えてしまうわけです。あと遊び誘っても具体的に誘えないからだいたい適当に流れる。計画力ぅ~

二つ目。相手に嫌われてるかどうかなんて察することしかできないんですけどあいにく察する能力が低いんですよね(みんなが隠すのうまいだけかもしれない)(自分は態度に出がち)。で、嫌われてる相手にわざわざ話しかけたところで向こうも腹立つじゃないですか。なんか申し訳ない気持ちになるんですよね(業務上必要な場合はまた別。それは仕方ない)まあ大概何とかなるんでしょうけど。

三つ目。初めての人は怖いです。SNSで変な印象もたれがち(じゃあそういうTweetとかを今すぐやめろ)だし大体の人、何考えてるかよくわからないから怖いですよね。まず話しかけ方わかんないし。みんなもあるでしょ。作文とかで「書きだしどうすればいいの~~~」的なあれ。はいこれでみんな共感した。

四つ目。さっきも言ったとおりです~昔はそんなことなかったんですけどね。知らん間にコミュ力減退してたのでまず人にどう話しかければいいかわからなくなってしまいました。LINEの始め方もリアルで人に話しかける方法も。全部全部忘れちゃった。まずどう話しかけるかだけでn週間考えちゃう。この間もある友人と待ち合わせしたとき「なんで声かけてくれんの???」って怒られちゃった。

で、この話を人にしても意外と共感されないんですよね。わりとなんで???と聞かれるばっかりで結構意外らしい。まあめちゃくちゃしゃべる人種だからでしょうけど。

そんなこんなで「大学の人と話してみたいな!!!」と思い続けて早5か月、自分からいまだに話しかけたことがないわけです。

いままではなんだかんだ言い訳して「男子校出身だから女子と話すとか一生無理だわ~」とか「アイドルと話せるのは金払ってるから~」とか言ってましたけど別にそんなこと関係なくて実際は機会があれば話せるし新しく機会を作ることはできないといったことだったってわけ(と、同時に相手の性別が一切関係ないことも分かった。ゴミみたいな言い訳に使って申し訳ない。)。

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私は「生きる」ことを選んでいる

 うちの学部でブログを書く人が増えてきた。最近ブログを始めた方が「死」についてかいていらっしゃったのでそれにある意味便乗して僕もそのテーマで書いてみようと思う。駄文ですがお付き合いください

参考までに以下に彼のnoteの該当記事を貼っておくので読んでほしい。

 
note.com

後編は編集時点では上がってないみたいです。

 

僕の経験

経験、といっても先ほどの那由多氏のような自分が死にたいと思った経験の話ではない。

よくニュースで「本日○○県xx市で殺人事件が起こりました。亡くなったのは○○県xx市の△△さんで○○県警は殺人容疑で……」というニュースを割とよく耳にすることがあるだろう。そして、よく目の当たりにするのが芸能人の死である。今年の大学に入るか入らないかの頃に大好きだったドリフターズ志村けんさんが亡くなった。テレビで毎日のように笑顔を振りまいてた岡江久美子さんもなくなった。中学の修学旅行中には割と年の近い私立恵比寿中学のメンバーが亡くなってマジかよ……となった。

明確に覚えている初めての自殺のニュースはZARD坂井泉水さんが亡くなったことだ。それ以降何人かの僕でも知っているような有名人が自殺したというニュースを聞いた。

そうそう、僕が高校に在学していた時、二個上の先輩が亡くなった。働いてた事務の職員の人も亡くなった。それで学校で学校葬的なことをした。はっきり言ってあんまりよく知らない人だったから授業時間がつぶれてラッキー程度にしか思っていなかった。

 

終わり。所詮その程度です。僕が「死」にまつわる経験をしているのは。身の回りの人が死ぬっていう経験をこれまでにしていないんです。そうです、ぼくお通夜とかお葬式とか言葉では知っているけど何やるか知りません。どんな雰囲気なのかもわかりません。この経験がないのって割と自分の中では大きいことではあります。だからそういう直接経験がない私の書く「死」について考える話って薄っぺらくなると思うんですよね。ごめんね。

純粋に「怖い」という気持ち

まず私が自分ごととして死について初めて触れたのはおそらく幼稚園の時次の本を読んだんです。

絵本 地獄――千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵
 

 多分読んだことのある人も多いのでは?と思いますが。当時の私は漠然とこの時がいつまでも続いていつかは大人になってそのまま生きていけるものだと思っていました。

この本を読んで思ったんですね。「死ぬのは怖い」と。死んだらこんな怖い世界に放り込まれてしまうのだと。本当に怖い話ですよ。この世以外にあの世があるとは知ってましたけどあそこは極楽で楽しいんだよと聞かされてた気がします。そういえば極楽への行き方まだ聞いてねえな。いつか聞いてみたいものですわ。

とにかくここで書かれていることは悪いことをするとろくなことが待ってないということ。そんな未来が待っているのが嫌だからわざわざ悪いことをしないようにしているんですね。潜在意識の中ではあるけれど。

そして数年後、僕は「死刑」という刑罰に出会うわけです。きっかけはオウム真理教関連の裁判がすべて一旦終了したというニュースで「死刑囚」という耳慣れないワードを耳にしたことがきっかけでした。詳しく母親に聞いてみたら国によって殺されて地獄に行くらしい。地獄にはいきたくないなぁという漠然とした思いで生きているわけでした。

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自分は詐欺師なのかも、だって結局嘘まみれで生きているわけでしょ

タイトルが強いわりに中身がないのはいつもの話。

昔から自由って言葉が好きだった。

小学生の時から好きでした。この言葉。だってなんか楽しそうじゃん笑

だって自由って言ったら何にも縛られなくて全部自分で決められる。自分の思いのまま。そんな感じがしてたんですよね。

中学受験、頑張りました。まあ行きたい学校には行けました。

でも思ってたよりも自由じゃないんですよね。何言ってんだって思うかもしれないですけど。てか一番自由そうなところは怖くて受けませんでしたけど。

まあ大学受験もやはり自由って言葉に流されて受けました。まあ行きたい学校には行けました。

でも思ってたより自由じゃないんですよね。まあだいたいあいつのせい。

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今日から友達になれますか?

めんどくさい前置きするのはなしで端的にね、話しますね。

木曜サロンについて

私たちの学部には教員主催で木曜サロンというものがある。簡潔にいうと先生や先輩と気軽に?話すことができるという会である。長々説明したくないので先輩のノートを借用することにする。

来て良かったと思います、とても|女児大学生|note

(先輩、勝手にお借りしました。すみません。)

今日はここで繰り広げられたとあるお話の話(ってもわかる人にはなんの話をするかもうお分かりでしょう)

Best Friend

Best Friend

「友達」の「定義」ってなによ?

そこは不思議な場所だ。年齢関係なく議論が飛び交ったりしょうもない雑談をする。そこで突然でてきたこの話題。普通の場所でしたらドン引きされるような話題だ。話の流れのしては先輩のうちの一人が"知人"の1人に「あなたは友達ではないから」と言われたことが事の発端である。

じゃあお得意のあれをまずは使おう

友達ー互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友(ほうゆう)。友。「友達になる」「遊び友達」「飲み友達」(デジタル大辞泉)

これがいわゆる辞書上の定義だ。でもこれはふわふわしたもの。これで納得するような集団ではない。(そもそもこの問いに答えがあるのだろうか。いやないだろうとは思う。)

参加している人の中にはこの定義について考える人もいたけどやっぱり一定数は次のような人もいた。

そんなこと考えないし考える人とは友達になれない。

まあ常人ならそう考える人も多いだろう。なんならこの世には「一度会ったらみんなともだち✌(´>ω<`)✌」

なんて人は沢山いる。

あなたの言葉を辞書に載せよう。

ただこの定義を考えてる人も沢山いる。そこでネットで出てきたのが「あなたの言葉を辞書に載せよう」というコンテストの優秀作品例だ。面白いのもあるし少し紹介する。

  1. 何年ぶりかに会っても、昨日も会ってても、その距離が変わらない存在。
  2. 無理して話さずとも沈黙が苦しくならない人。本当の自分をさらけ出し会話・相談できる心のよりどころ。
  3. 友達は心を裸にする存在。
  4. 自分の過ちをそっと指摘してくれる人。つらい時には傍で支え、喜びは共に分かち合える人。
  5. 思い込みの可能性あり。確認の取り方もよく分からない。

個人的に面白いなと思ったものを抜粋してみた(全てコトバンクの「友達」より引用友達(トモダチ)とは - コトバンク)

ひとによっていろんな定義があるってことだけはわかった。解釈は特にしてないしする気もない。皆さんにおまかせをする。ところで

友達の定義などないと言う愚か者たち。

結局こんな人が大半だよね。うん。でもさこの人たちって矛盾ありまくりじゃないですか?てかこいつらペテン師ですよ。嘘ばっかり。いやどこがペテン師かって言う話ですか?

 僕に言わせれば彼らは「僕友達たくさんいるフレンドリーな人だよ!!!!」ってアピールしたいだけの人にいいイメージつけたいだけの人ですよ。
冷静に考えてみてください。友達100人いる人がその人たち全員に対していいイメージ持っていると思いますか?
まあ仮に持ってるとしたところで次のような質問してみましょう。

「おまえその“自称”友達みんなとあそんでるの?????」

おそらくこの質問をすると黙ります。つまりそういうことです。彼らは友達といいつつ心の中で必ず線引きをして区別してます。それをあたかもみんな平等かのようにいうということです。みんな友達!はすごくいいことで理想のようなものでかっこよく見えても裏ではこんなことが必ず起こっているはずです。だから人間って信用できないんだよな。よくないこれは19歳で治すことだった。一章一章が短いです。もう少し長い文章を書きたいです。

 結局のところ……

なんだかんだいってきましたが友達の定義というものが何なのかは結局のところよくわかりません。Facebookの友達は全く知らない人がいたりLINEの中には大企業が友達として扱われていたり友達の定義自体あいまいなものだと思います。これを書いてて一つ思えたのは残酷ではありますが先輩に対して「あなたは友達ではない」といった方は非常に誠実なのではないでしょうか。そして原点に立ち返って考えると辞書上の友達の意味というのはかなり的を得た表現である気がします。ほんとかどうかはわかりませんけどね。

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19歳のお気持ち表明~私はまだ死にたくないっ!!~

 この間19歳になりました。お祝いしてくださった皆さん本当にありがとうございました。承認欲求の塊なのでお祝いされてめちゃくちゃうれしかったです。本当にありがとうございました。

 高校の同期がクラスのイケメン陽キャと誕生日が同じっていうTweet見てケラケラ笑ってたような気がするんですけどまさか同じことが起こるとは思ってませんでした。

ところでみなさんの身の回りにはいないかもしれないんですけど今日も明日も明後日も誕生日の人っているんですよね。毎日誰かが祝われているとか平和な世界だすごい!!

 

Happy Birthday

Happy Birthday

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 んで、正直な話来年の誕生日はすごく楽しみです。二十歳になると。

お酒飲めるやん!!!!

なにより

競馬できる!!!!!!

はやく一年たたないかなというお気持ちです。

 

 

 ただこんなことお祝いしてくれた皆さんに言うのは申し訳ないんですけどはっきり言って19歳になっても全くうれしくないんですねてか

年を取りたくない!!!

これを去年あたりから切実に思うようになりました。

人生は夢だらけとは言いますが年を取ると必ず選択の幅は狭められていきます。それが怖くて仕方がないです。いまから○○がやりたい!と思ってももう手遅れなことだってあります。例えばスポーツやりたいとしたらすでに基礎体力とかがないと厳しいものがある。そうやって夢をあきらめざるを得ないことが怖くて仕方がないということです。

まあすでに華の高校生活をあきらめて勉強していた時点でお察しみたいなところがあります。

ただやりたいことろくにできずに死んでいく人生って悲しいですよね。せっかく大学生になったしやりたいことはしっかりできるようにしたいんですよね。ってことで

19歳のお気持ち表明します!!!!

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  1. まず働く。
  2. やりたいことを探す
  3. できることがあったらすぐ行動する
  4. 人のことを信用する
  5. 人の意見をとりあえず受け入れられるようにする

の五本です!来年もまた見てくださいね!じゃんけんぽん!ウフフフフフフフ!

まあ画像の変わりたいの一言に尽きるのですが

かるく説明つけていこうと思います。まず働くは言わずもがな。お金がなかったら何にもできません。とりあえず働きたいです。そもそも19歳コミュニケーションに難あり職歴常識なしの人間を雇ってくれるところなんてあるのかという話ではありますが。

2のやりたいことを探す。うっすらとイメージだけできていることを具体性を持たせたいですね。難しすぎるが。

3のできることがあったらすぐ行動する。これも難しい。なんたって高校の時の先生にお礼しようと思って今日まで三か月放置し続けている人間ですから。大切なこととかやらなきゃいけないことは忘れないのでそれだけはまだましなんですけどね。幸い今年はまだサークル活動も始まってないので始まる前にやりたいこと見つけたらそれに応じたサークルに入れるといいなあ

4人のことを信用する。これは他人は言わずもがな自分のこともです。
まずは他人から。基本的に人のことを完全に信用するっていうのができないんですよね。悪いところなんですけどもなんか人に裏があるのではないかと勘繰ってしまいます。そういうところをなくしていきたいです。特に女性に対して、中高時代にろくにコミュニケーションをとってこなかったのでネットにある悪口用の裏垢を持ってるとかすべてうのみにしているのは本当によくないと思うので個人to個人として向き合えるようになりたいです。そして自分、とにかく自信がないから全く信用できない。まあ中途半端な人間なので仕方ないかなと思っているんですけどやっぱり自信を持てるような人間になりたいです。

5これは昔よりましになってはいるんですけど時にやってしまうことがあるので引き続き直していきたいなぁと思っています。

結局のところ将来の今持っている僕の夢は

何者かになりたい!!!

ほかのだれかができることを効率よくするような人間ではなくonly oneになっていきたいと思います。難しいと思うけど頑張る。うん。

改めて19歳、よろしくお願いします。

 

↓↓↓この曲の歌詞に心打たれました。聞いてみてください。↓↓↓

アンサー

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