自分は詐欺師なのかも、だって結局嘘まみれで生きているわけでしょ
タイトルが強いわりに中身がないのはいつもの話。
昔から自由って言葉が好きだった。
小学生の時から好きでした。この言葉。だってなんか楽しそうじゃん笑
だって自由って言ったら何にも縛られなくて全部自分で決められる。自分の思いのまま。そんな感じがしてたんですよね。
中学受験、頑張りました。まあ行きたい学校には行けました。
でも思ってたよりも自由じゃないんですよね。何言ってんだって思うかもしれないですけど。てか一番自由そうなところは怖くて受けませんでしたけど。
まあ大学受験もやはり自由って言葉に流されて受けました。まあ行きたい学校には行けました。
でも思ってたより自由じゃないんですよね。まあだいたいあいつのせい。
ある迷言がよみがえる。
そんなことを考えていた時に中学の時の教師の言葉を思い出しました。
その「はい」は本当の「はい」か?
って。これ説教中にやるんですよ。一般的にいうところのめんどくさいってやつですよね。いやまあ実際当事者だとめんどくさいんですけど。
でもここには大事なことが含まれてたって気付くの、今じゃ遅いんですかね。
こんなことを高校時代の友人に言われました。
私いつもゲラゲラ笑ってるんですよね。周りの人からしたらうるさいくらいにゲラってるんですよね。体が反応して。
そうやって日々を漠然と過ごしているうちに言われたんですよね。
お前それ本当に面白いと思ってる?
は?ってなりました。面白くなければ笑うはずがないです。そこは一応自分の感覚にゆだねてたんで。は?ってなりました。
嘘をついて生きてきた
割といろんな人に素直だね。とか純粋だね。とかよく言われます。だってその部分は簡単には失いたくないからね。
でも
結局そういうことなのかもしれないです。話を冒頭に戻しましょう。
中学受験するのは「少しでも自由ないい環境で勉強するため。」でした。嘘です。本当は勉強なんてちっともしたくなかったし人と遊んでいるほうが楽しかった気がします。
大学受験もそう。確かにこの大学は嫌だ。ここも嫌だと明らかな理由を付けて嫌なものは回避しました。ただ、絶対的な理由ではなかった。いや、当時は絶対的な理由だったのかもしれない。
将来の夢、いろいろあったんですけど理由を付けて逃げてもうなんだかよくわからなくなってしまった。のかもしれない。それすらわからない。でもある程度嘘とかごまかし使って逃げてたのかもしれない。
さっきの先生の言葉、勝手に解釈しなおすと「納得できないのに自分に言い聞かせるようにはいというのはやめろ」ってことだったのかもしれない。
笑いの話もそうだったのかも。
結局周りの機嫌を取るためにある程度自分をセーブしてた結果が今の自分。だから「本当に」自由でしかない環境が与えられた今、納得できない自分に嫌気がさしている気がするんです。でもまた多分妥協してそこそこ成功している人生であるために何かをすることも想像できる。それはもう変えられないことなのかもしれない。
別に今が悪いとか思ってるわけではないんですけどね。
だからさあwwww性格診断で誠実性がめちゃくちゃ低くなるんだよねwwww